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「そんなこと、知らないわよ」アルファはつっけんどんに答えました。
「とにかく、どっかへいくの。それがだいじじゃないの」
ああ、なんて明快な答えだろう。
人生、こんなふうに生きられたら、さぞかし楽しいはず。

やがて、五人姉妹はこともあろうに、化学の教科書のしおりとなって、二百と二百一ページの間にはさまったきりになってしまう。 さらに箱につめられて忘れられ、人形たちは眠るしかすることがなくなる。
これは本当の危機。 もう、このまま紙人形たちはほっておかれてしまうのかと思うと、残念でたまらなくなる。
それから長いときが過ぎる。 しおりになって、本の中でずっと眠っていた紙人形姉妹を救ったのはオリビアという女の子だった。
その女の子の母親は……それは読んでのお楽しみ。 この物語は円環を作って、閉じ合わさる。
アルファが途中で「あたしたちのおはなしはハッピーエンドをむかえるはずよ」といったとおりになる。 ただし、ここで終わっていたらとすればのこと。
この先もあるのだ。 なんと、五人姉妹はさらに島をめざして新聞紙の船で海に乗り出す。
紙人形の冒険はつづくのだ。 このように、終わりも、単なるハッピーエンドではなくて、未来のある、爽快な終わり方になっているのもいい。
『めざめれば魔女』や『足音がやってくる』などのちょっと恐ろしさもある作品とは違い、こんな愉快で、楽しめるM氏の作品があることを知ってうれしい。 それも紙人形が主人公なんて、私にとっては、なおさらラッキーな作品との出会いだった。
これは、元気いっぱいで楽しい人形の話。 固い瀬戸物でできているこの人形は、昔、ロンドンのおもちや屋で五ペンス半というとても安い値段で売られていた。

こわれにくい小さな人形だった。 それを女の子が欲しがって、おばあさんに買ってもらう。
そこから物語は始まる。 欲しがったのはエフィという女の子。
自分の人形の家にぴったりだという理由で欲しがったのだけれど、人形のほうは、「だけど、あたしは人形の家なんかにいきたくないよ」という。 人形の家なんかにいるなんて嫌いなのだ。
人形は人形の家という型にはまったことを嫌う、とてもユニークな人形だ。 しかし、なにしろ人形の声はなかなか人間には聞こえないから、結局はエフィの人形の家に住まわせられてしまう。
名前はエフィがジェインと名づけた。 当の人形は自分の名を「小鬼のジェイン」と決める。
なぜなら、ジェインは「小鬼」とっくのが気にいったから。 ここだけ読んでも面白い。
自分のことを「小鬼」とつけるのが好きだなんて愉快だ。 ジェインは冒険好き。
見るものになりたいとすぐに思ってしまう。 「ラッパに、馬に、ベルに、はねに・・・ああ、あたし、ぜんぶになりたい」

小鬼のジェインはさけびました。
けれども、どれにもなれず、人形の家に置かれ、かたくて、つめたいビーズのクッションに座らせられただけ。
クッションに座りながら、ジェインは願う。
「あたし、ポケットに入りたい、ポケットに、ポケットに」
小鬼のジェインはそうねがいましたが、そのねがいは、だれにもきこえませんでした。 人形たちはもちろん話すことはできません。
できるのは、ただねがうことだけです。 ある人たちだけがそのねがいをかんじとるのです。
こんなに願っているのに、エフィは人形の願いを感じることのできない子だった。 エフィのあと、この人形の持ち主になった女の子たちのエリザベスもエセルもエレンも、ジェインの願いを感じる子は残念ながらいなくて、何年経っても、小鬼のジェインは相変わらず、ジェインには小石ほどにも感じられるビーズのクッションに座らせられたままだった。
「願いは通じないのか?」
そんな気持ちにさせられる。
そしてある日、エレンのいとこのギデオンという男の子が来て、事態は変わる。 小鬼のジェインは陽気で活発なギデオンが気にいり、この子なら願いを感じることができると確信する。
そして、必死に願うのだ。 「あたしをたすけて」、「あたしをどこかへ連れてって」と。
やがて、ギデオンは持ち主のエレンに黙って人形の家からジェインをつまみあげて、自分のポケットに入れてしまう。 願いが通じたのだ。

ものいえぬ人形のできることは、願うこと、切実でひたすらな願いはやがてかなうと語りかけている。 この作家の人形物語のキーワードは一貫して「願う」ということだ。
人形は願うことができるという考えはどこからやってきて、この作家の強い信念となったのだろうか? そのことに、私はとても関心がある。
たとえば、人形を生きて感惰のあるものとして書くというなら、ほかの作家もやっている。 ただ、この作家は人形は「願える」こと、そして強く願えば「かなう」ということを書く。
そうした人形物語を書くのはこの作家だけで、とても興味深い。 さて、ギデオンのポケットに入ることのできたジェインは大喜び。
ギデオンは走ったり、スケートしたり、ブランコに乗ったり、木登りしたり、活動的なのでジェインはもううれしくてたまらない。 幸せいっぱいになる。

遊んで遊んで、ジェインの着ていた白い洋服は汚れてしまったので、ギデオンは葉っぱやぼろきれでジェインをくるむ。 でも、ジェインは平気。
「あたしはふつうの人形らしくないんだから」と熱心にいう。 ギデオンにはその声は届かないのだが。
ギデオンの心配は、男の子たちに人形を持ち歩いているなんて、「みんなぼくのことを『女みたい』つていうだろうな」ということ。 男の子って、女の子みたいだとさわがれるのをいやがるものだ。
ギデオンが心配していると、ジェインにもそれが通じて心配する。 しかしある日、とうとう男の子たちにポケットの中を調べられてジェインは見つかってしまう。
ジェインは体をこわばらせている。 そのとき、ギデオンは思いもよらぬことをいう。
ジェインのことを人形じゃない。 模型だというのだ。
模型ということばに男の子たちは興味を示し、いっしょに遊びたがるほどになった。 やれやれ、窮地を脱してよかった。
それからは、男の子たちの遊びに入れてもらって、ジェインはヨットや飛行機に乗ったり、さらには回転花火に乗って、スリルを大いに楽しんだのだった。 けれども、そうした幸せな生活をあきらめなければならないときがやってきて……。
勇気があって、はずんだようにいきいきしたこのポケット人形には思わず惹きつけられてしまう。 私ははじめに楽しい人形の話と書いた。
昔読んだとき、小鬼のジェインの、人形というイメージを超えた型破りの活発さに目がいった。 けれども、この本はただ楽しい人形物語というだけではなかった。

そうでなくしているのは、七歳のギデオンがもった友だちに見つかるかもしれないという悩みをあつかっているからかもしれない。 こんど読み返してみて、ギデオンという男の子の心の葛藤に、もう一つの作者のメッセージがあることに気がついた。
小さな物語にも、人間の抱えこんでしまう心の問題を折り込んでいるのだ。 それはいかにもG氏という作家らしい態度だと思う。

この本の絵を描いたE氏は『チムとゆうかんなせんちょうさん』などで知られた画家だ。 私も子どもの頃から親しんでいた絵本作家なので、この本に出合ったときも懐かしさを感じた。
ちなみに、文章を書いたのは、彼の長男のおくさんだという。 義父と息子の妻の合作で生まれた絵本である。


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